施設について
駐車場
会堂の前に5台駐車可能です。
歩いて3分ほど離れた場所に8台程度駐車可能です。
会堂前に空きがなければ、声をお掛けください。
庭・玄関
礼拝堂
沿革
戦後日本の民主化と心の救済、宗教の自由を目指し、米国から数多くの宣教師が来日しました。私達教会の母体となったニュートライブズミッション(New Tribes Mission:新しい部族へのミッション…現在の名称Ethnos360)もその中の一つです。
ニュートライブズミッションは、その名が示す通り未開拓地域の少数民族への福音宣教使命としている、特定の宗派に属さない(超教派的な)プロテスタントの宣教団体でした。
当時、中国の少数民族への宣教を目指していましたが、急速な社会主義化の影響で宣教地を日本に改めて来日した様です。石川県では、戦前から金沢のプロテスタント教会を中心として、学校、福祉施設を経営する等、宣教や社会福祉に熱心に取り組んでいましたが、能登地区に於いては、過去熱心な宣教活動が為されていましたが、信仰が定着する大きな成果には至っていませんでした。
ニュートライブズミッションの宣教師たちは、この能登地区を中心に宣教活動を展開しました。金沢キリスト福音教会の前身は能登地区で信仰を持った信者たちが就職等の事情により金沢で暮らす様になったことで、日曜毎に集まって集会を持つになったところから始まりました。その集会に初代牧師となる塚田良一氏が加わり1974年に金沢キリスト福音教会としての歩みが始まりました。
その後、会堂建設、法人化などを経て、現在に至ります。
OMについて
マット牧師夫婦が在籍しているプロテスタントの宣教団体です。2009年から日本国内における活動がスタートし、現在では8つのチーム40人を超える宣教師が日本国内で活動しています。
「主の祈り」と「使徒信条」
主の祈り
「主の祈り」とはイエスキリストが教えられた敬虔な祈りの手本です。
主の祈り
ねがわくは 御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いいだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
わたしは、天地の造り主(つくりぬし)(創世記1:1)、全能の父である神を信じます。(イザヤ44:6)
わたしは、そのひとり子(ヨハネ3:16)、わたしたちの主、(ルカ2:11)イエス・キリストを信じます。(ヨハネ2:28)主は聖霊によってやどり、(ルカ1:35)おとめマリヤから 生まれ(ルカ1:27)、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け(ルカ23:23-25)、十字架につけられ(ヨハネ19:20)、死んで葬られ(第一コリント15:3-4)、よみにくだり(第一ペテロ3:18)、三日目に死者のうちからよみがえり(マタイ28:5-10)、天にのぼられました(マルコ16:19)。そして全能の父である神の右に座しておられます(マルコ16:19)。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます(第二テモテ4:1)。
わたしは、聖霊を信じます(ヨハネ16:7-8)。きよい公同の教会(ガラテヤ3:26-29)、聖徒の交わり(ヘブル10:25)、罪のゆるし(第一ヨハネ1:9)、からだのよみがえり(第一テサロニケ4:16)、永遠(えいえん)のいのちを信じます(ヨハネ10:28)。アーメン
ニカイア信条
ニカイア信条はキリストの受肉、人性と神性について使徒信条より深く、より詳細に述べています。プロテスタント教会は使徒信条を告白していますが、ニカイア信条はその土台であり、同じく重要です。
ニカイア信条
わたしたちは、唯一の神(申命記6:4)、全能の父(創世記17:1)、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます(創世記1:1、ローマ11:36)。
わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものはこの方によって造られました。(ヨハネ1:1-2、3:18、8:58、14:9-10、20:28、コロサイ1:15、ヘブル1:3-6)主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり(マタイ1:20-23、ヨハネ1:14、6:38、ルカ19:10)、わたしたちのためにポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って(マタイ27:1-2、マルコ15:43-47、使徒13.29)、三日目によみがえり(マルコ16:5-7、ルカ24:6-8、使徒1:3)、天に昇られました。そして天の父の右に座し(エペソ1:19-20)、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません(イザヤ9:7、マタイ24:30、ヨハネ5:22)。
わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます(ヨブ記33:4、ローマ8:2)。聖霊は、父と子から出て(ヨハネ14:16-17)、父と子とともに礼拝され、あがめられ(イザヤ6:3、第二コリント13:14)、預言者を通して語ってこられました(民数記11:29、ミカ3:8、使徒2:17-18、第二ペテロ1:21)。
わたしたちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます(第一コリンと1:2、第一テモテ3:15、黙示録7:9)。わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します(第一ペテロ3:21、エペソ4:4-5)。わたしたちは、死人のよみがえりと来るべき世の命を待ち望みます(ルカ18:29-30、黙示録21:1-5)。 アーメン